平成29年

☆平成29年4月☆

 あなたが幸福感に満たされていることが実相であって、不快感や悲しみや悩みは、そんなものは全然存在しないのである。これを「法華経」では「わが浄土は毀(やぶ)れざるに、衆は焼け尽きて憂怖もろもろの苦悩充満せりと見る」と示されているのである。幸福感のみ満たされている浄土は毀(こわ)れてなくなったのではなくて、今ここに現にあるのである。それなのに憂え、恐怖、苦悩が充満していると見えるのは、ただ心の問題なのである。心が外に振り向き過ぎて、それに捉えられ振り廻されるから苦しみに感ずるのである。

(谷口雅春 著 『 如意自在の生活365章』 P69 より)


☆平成29年3月☆

歓喜哄笑(かんきこうしょう)、暗黒を吹っ飛ばせ
大いに笑え。「内在の仏性」よりして「光」ながれ出でて、すべての闇を消すのである。「内在の仏性」を自覚するとき、無限のエネルギーが内部より湧き出でるのである。あなたの凡(あら)ゆる恐怖心をかなぐり棄てよ。そして“内”にむかって必要な力と智慧とを招くがよい。

(谷口雅春 著 『新版 栄える生活365章』より)


☆平成29年2月☆

今、我が前にすべての悪はなきなり。善一元の世界なり。悪と見えしものは、我が内なる「神の子・人間」の自覚が不充分であるときに現れる“影”のようなものである。影は光の不在である。影そのものは実在しない。それと同じように、悪は神の子の自覚の前には存在しない。神の子・人間である我が人生は、ただ善のみの世界なり。この真理を教え給いし神に、深き、厚き感謝を捧げます。ありがとうございます。

(谷口雅宣 著 『日々の祈り』P140より)


☆平成29年1月☆

肉体は道具であるにすぎないのである。肉体を人間だと思っていて肉体の喜びを、肉体の快楽を、そして物質の豊富を求めようとする、そして奪い合いが始まる。争いが始まる。吾々は人間に対する観方をかえなければ本当の平和は来ないのである。人間は何よりも霊である。それを自覚した時、この世界を平和にする最初の基礎が定まるのである。

(谷口雅春 著『新版 生活と人間の再建』P32 より)


平成28年

☆平成28年12月☆

恋人を迎えるように毎日を笑顔で迎えよう
あなたが恋人に逢いに行くかのようなうれしい明るい心をもって“今日”を迎えるならば、“今日”もまたあなたを、恋人のような明るい嬉しい顔をして迎えるであろう。
 そうして、あなたの周囲に極楽世界が展開するのである。何故なら、あなたの迎える世界は、あなたの“心の展開”であるからである。

(谷口雅春先生 著 『人生の秘訣365章』より)



☆平成28年11月☆

感謝の力は偉大なるかな
父母に対して感謝する心になると、病気がすばらしくよく治ります。何故(なぜ)かというと、自分を生んでくれ、育ててくれた人への感謝は、「生きていてありがたい、生んでくれて有難い」という気持でありますから、その生み育てられた生命力がよみがえってきて、活発に働きはじめるのです。

(谷口清超先生 著 『病が消える』より)



☆平成28年10月☆

人々に祝福を与えよ。深切を与えよ。善意を与えよ。喜びを与えよ。微笑を与えよ。すべての善き心の波は相手に幸福を与えるのみならず、与える人自身に幸福を与えるのである。毎日一そう多く吾らは人に与えん事を決意しこれを実行せよ。
そして「吾は神からつかわされたる全人類への祝福の使者である」と念ぜよ。電車にのっている時にも汽車にのっている時にも自分の全身からこれらの人々を幸福にする所の愛の念波が自分の全身から放射されて今これらの人の幸福にしつつあるのである、と念ぜよ。常にこのような愛を与える気持で日常生活をおくればまず祝福されるのはあなた自身であるのである。

(谷口雅春先生 著 『新版 生活と人間の再建』P211-P212 より)



☆平成28年9月☆

なすべき智慧が見当らず途方に暮れている者は、人間の頭脳だけの智慧で事を処理しようとしているからである。身体がつかれ果て、病み衰えている者は、「神の生命を呼吸している」ことを忘れているのである。愛に飢え、生きる望みを失っている者は、神の愛が今も自分を愛して取り巻いている事に気がつかない者である。神の愛に眼覚めよ。神の生命に眼覚めよ。神の智慧に眼覚めよ。神の力に眼覚めよ。それらのものは決して遠くにあるのではなく、気がついたときにあなたの内に今此処にあるのである。

(谷口雅春先生 著 『新版栄える生活365章』P248-P249 より)



☆平成28年8月☆

祖霊祭祀の意義は、祖先に対する報恩感謝の心を自分が起こすということが根本であります。(中略)常に“自分は祖先あってこの地上に生まれさせていただいたのだから”という因を知る心を起こして、祖先に感謝礼拝するという事が大切なのです。

(谷口雅春先生 著 『新版 人生を支配する先祖供養』P175 より)



☆平成28年7月☆

諸君は「日時計」というものを見たことがあるであろう。それは一本の直立せる針と、時間をしるした一枚の盤とでその主要部分が成り立っている。太陽の光線がその直立せる針に落ちると、針は盤面の目盛りの上に影を落として、なん時だとわかるのである。太陽の無い日には時間がわからないのだ。日時計の盤面には、時にはこんな標語が書いてある。I record none but hours of sunshine.(我は太陽の輝く時刻のみを記録す)    

     (谷口雅春先生 著 『生命の實相』P27 より)



☆平成28年6月☆

時として何の理由もないのに憂鬱な陰気な否定的な気持が自分の心のうちに沸き起こって来て、世界が暗澹として何の希望も生き甲斐も感じられなく思われることがあります。これは、どこかから宇宙に漂う悲観的な精神波動が放送されているのを貴方がヒョッコリ受信したのであって、あなたの本物(実相のあなた)が悲観的になったのではありません。この真理を知ることが、その暗い感じから脱却する第一の門であります。

 (谷口雅宣先生 著 『新版 幸福を招く365章』より )



☆平成28年5月☆

あなたは、神の無限の多様性を内に蔵した神の子であるから、どのような方向へも新生し得るのである。あなたは、仏の大慈悲を内に蔵するのであるから、どのような人をも赦せるのである。赦すことは、執着を放つことである。執着を自ら放つことで自由が訪れる。そしてあなたは新生するのである。

(谷口雅宣先生 著 『日々の祈り』より)



☆平成28年4月☆

有限の肉体の背後に、無限の神と一体にして、神の無限内容を表現せんとする「本当の自己」があることを自覚せよ。この「本当の自己」の神の願いを自覚せよ。神の子・人間の求める「本当の自己」の生き方を自覚せよ。この自覚が曇らされ、肉体人間の自己保存、自己伸長、自己拡張の欲望に身を任せている時、内部神性の「本当の自己」が異議を唱えるのが病気であり、苦しみであり、死の恐怖である。病んでいるのは本当の自分ではない。苦しんでいるのは本当の自分ではない。死に怯えているのは本当の自分ではない。病や苦しみや恐怖は、「肉体即ち我なり」と見る迷妄を崩さんとする「本当の自己」の台頭である。肉体人間の自覚が崩れつつある響きである。迷妄の崩壊を通して「本当の自己」が表れるのである。 

(谷口雅宣先生 著 『日々の祈り』P237-P238 より)



☆平成28年3月☆

人間は「神の子・無限力」だが、この世の中には、その力の全てが現れているのではなく、 ごく一部しか出ていない。 ことに幼少のころは、できないことの方が多いので、練習し訓練することによって、どんどん力が出てきて、頭もさえてくる。 それを現し出すところの練成道場が「人生大学」なのである。 そこで、無限の能力の中で、どれをのばすかは、本人(あなた)の心次第である。                        

(谷口清超先生 著 『輝く未来が待っている』より)



☆平成28年2月☆

 自分が変わればその人の世界が変わる。自分の眼を開けば世界は明るい、自分が眼を閉じれば世界は暗い。
これは事実であって、理屈ではない。

           (谷口雅宣先生 著 『生命の貫相』第14巻 P24 より)



☆平成28年1月☆

  「神が創造した本当の世界には善のみがある」と知ることで、私たちは、人間の心によって作り出される現実世界の様々な悪現象を目の前にしても、〔中略〕悪現象の“奥”に光る善性や、悪現象の“背後”に隠れる善意を認め、それを引きだす方策を思いつき、状況を改善することができるのである。             

 (谷口雅宣先生 著 『太陽はいつも輝いている』より)


平成27年

☆平成27年2月☆

 あなたの心のみ、あなたの世界を改善できる==“あの人が変ってくれなければならない”とか、“この環境が変らなければ駄目だ”とか考えてはなりません。レンズが明るければ、夜景でさえも明るく写せるように、あなたの“心”が明るければ、一般の人には暗く見えるような世界でも、明るく受けとめ、明るくできるのです。

(谷口雅春著『女の浄土』より)


☆平成27年1月☆

 チャンスというものは、外から突然やって来るものであるかのように見えるけれども、実は自分がつくって、自分が引き寄せるのである。昔から「積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)あり」という諺(ことわざ)がある。善行を積んでおけば、それが天の倉に蓄(たくわ)えられていて、ゆたかなる利子が常にあなたに払い戻されることになるのである。

             ( 谷口雅春先生著「神と偕に生きる真理365章」P202 )



平成26年

☆平成26年12月☆

 人間は誰でも何らかの希望をもっていて、その希望の実現をねがわない者はないのである。ひとつの希望が成就すれば、また次の希望が生まれて来てその希望の達成をねがうのである。人生とは希望に向って歩みゆく魂の旅路だともいえるのである。

               (谷口雅春著 新版 希望を叶える365章より)


☆平成26年11月☆

 何となくその人の顔を見ていると、魅力を感じ楽しさを感ぜしめる容貌、何時までも、見ていて親しみを感じ飽きない容貌、そういう顔が時々あるものですが、そういう顔になりたいと思うならば、一等自分が「楽しい幸福だ」と云う、その心持を出来るだけ多く起こすことにして、その表情を持続して行くことにすれば好いわけです。

                   (谷口雅春著 新版 真理 第5巻P99より)


☆平成26年10月☆

 肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。肉体を「霊の完全な表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。肉体を醜いものと考えてはならないし、それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。而して病気を見る勿れ、病気を想念する勿れ。

              (谷口雅春著 新版 光明法語【道の巻】P253より)


☆平成26年9月☆


肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。

肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。肉体を「霊の完全な表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。肉体を醜いものと考えてはならないし、それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。而して病気を見る勿れ、病気を想念する勿れ。

(谷口雅春著 新版 光明法語【道の巻】P253より)



☆ 平成26年8月 ☆

 吾々は小さき改善の集積の力を知らなければならない。

これは必ずしも廊下の清掃や日々の業務の改善のみではないのである。毎日の進歩と向上とは各人の人格の光を常に増すのである。かくてより新たなる力と、美しさと、緻密なる思いと、おもんばかりと、大きい心が養成されるのである。 

( 谷口雅春先生著『青年の書』64頁 )



☆ 平成26年7月 ☆

 本当の太陽というものは無量光、無辺光なる法身の日之大神、毘盧遮那仏であって、いっさいのところに充ち満ちていられる。
しかしそれではわれわれの五官では見えないから、われわれは五官のレンズや六感のレンズをとおして無限を有限に屈折して見る。
こうして、五官や六感のレンズを通して無限を有限に凝縮して見たのが、五官や六感でわれわれの見る太陽であります。

( 谷口雅春先生著 『生命の貫相』第11巻164頁 )



☆ 平成26年6月 ☆

 人間の可能性は無限である、どんな子供にも神性・仏性があります。

それをどうやって引き出すかが、教育の最高の課題です。愛と認識が、その偉大なる作業者だといわなければなりません・そして次には“訓練”が必要です。訓練にはきびしさと、繰り返しと、そしてやり直し、突き放しが必要です。
さらにいうならば、「祈り」がなくては真の教育は成功しないのです。

(谷口清超著「親と子の愛について」p30)



☆ 平成26年5月 ☆

 明るい銀座街頭に人が集るように、また昆虫が燈(ともしび)を追って集ってくるように、明るいところに生物も人間も集ることをよろこぶのである。事業または商売の繁栄をきたすのでも、明るい希望にみちた活気ある雰囲気をその従業員がもつということが必要なのである。

( 谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より )



☆ 平成26年4月 ☆

 “我れ神の子”の自覚が凡(すべ)ての幸福を呼び出(い)だす==自分が神の子であり、神の生命わが内に生き給(たま)い、わが内に神生き給うと自覚することは、あらゆる幸福を生み出す源を把(つか)むことになるのである。
私たちが真に“神の子”なることを自覚するならば、生活は完全となり、裕(ゆた)かとなり、一切の不調和は消え、肉体は健康となるのである。

( 谷口雅春先生著『新版 栄える生活365章』より )



☆ 平成26年3月 ☆

 「天才」はすべての人の中にすでにある==全ての人々の中に「天才」がある。
神(天)はごく一部の者にしか才を与え給(たま)わないというエコヒイキはなさらない。
だから全ての人々に「天才」がある。
人は内在の力を現わし出してこそ楽しく嬉(うれ)しいのである。
それ故(ゆえ)全ての人々は、すでに与えられている「天才」をみとめ、それを現わし出す練習をしよう。

( 谷口清超先生著『伸びゆく日々の言葉』より )



☆ 平成26年2月 ☆

 将来の「幸福」のみを追求急いであって、現在受けている「幸福」に感謝することを忘れてはならない。
今ある「幸福」を感謝して有効に使わなければ、次なる「幸福」が花咲き、実を結ぶことはできないのである。
今ある「幸福」がどんなに小さいものであるにしても、それは次なる一層大なる「幸福」が発展する基礎となるものである。
「種子」から一ぺんに花咲くものはないのであり、「基礎」を立派に築いて置かなければ立派な建物は建たないのである。
使わないものはだんだん萎縮して用をなさなくなり、尊ばないものは忘れられて消えてしまうのが法則である。
現在ある「幸福」の種子がどんなに小さいものであるにしても、それを尊び、それを「種子」とし、「基礎工事」として生かして使うようにしなければならない。
現在はどんなに不幸な境涯におかれている人も、若し心の眼を開いて見れば、何らかの"神の恵み"を受けているのである。



☆ 平成26年1月 ☆

 我々が眠りより覚めて意識の世界に再び帰って来たとき、其処に我々は新しく生れた自分を発見するのである。
過去との一切のつながりは、除夜の鐘を境として、完全に断ち切られたように見える。過去の一切のものは完全に過ぎ去ってしまったものに感じられ、「新しく生きるのだ」と云う希望と決意とが湧き起って来るのである。
まことに正月元旦は新生の時であるのである。元旦の曙こそ、我々の心が浄らかな白紙のように浄められている時である。
あなたの未来は、今あなたの掌中に握られているのである。
今、この時、善き事を考えましょう。今善き事わ計画しましょう。まことに一年の計は元旦にあるのである。

( 谷口正春先生著『新版 幸福を招く365章』3頁 )

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平成25年

☆ 平成25年12月

人生はコトバで作られる。

人生を前向きに、明るく考えないと、この世は楽しく展開しない。そして言葉で明るく言う必要がある。心には習慣性があるから、暗い心の時は、それを明るい言葉や表情で打ちやぶらなければならないのだ。人生は言葉で、どのようにでも変化する。

( 谷口清超先生著『人生はドラマである』より )



☆ 平成25年11月 ☆

自分はこの標語を日時計主義だと云っている。

そして生長の家では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思い出す。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。
此の世界の人々が皆な此の日時計主義に従って、不快な一切の記憶を次の瞬間から追い出して了い、悲しい連想や、憂鬱な暗示を拭き去ってしまうようにするならば、吾等のこの世界はどんなに愉快に幸福になれるであろう。

( 谷口雅宣先生著『日時計主義とは何か?』18頁 )



☆ 平成25年10月 ☆

姿勢をととのえること。心を静かにすること。神を思うこと。神に感謝すること。

神の智慧と愛と生命と裕かなる供給にみたされて調和せる“神の造り給える世界”を讃(たた)える言葉を念ずること。自分の希望するものを与えたまえと祈ること。その希望が今、実相の世界から現象化しつつあるという期待に、自分の心を明るく歓喜(かんき)に満たしながら静かに待つこと。「既にそれは与えられている」と念じて感謝すること。これが何者かを祈り求めるときの、正しい祈りの方程式(ほうていしき)である。
 ( 谷口雅春先生著『新版女性の幸福365章』より )



☆ 平成25年9月☆ 


解決しない問題は一つもない

吾々に現在与えられていることは悉(ことごと)く、吾々の現在の魂の状態にとって、すべて教育的なものばかりなのである。その仕事を為(な)すことにおいて、その環境に処することにおいて、全力をつくし、全生命をかけ、全精神をつくしてそれと取組むことによって吾々は魂が向上するのであります。
算数の問題は必ず答があるのである。それと同じく吾々に与えられている問題は必ず解決し得るからこそ吾々に其(そ)の問題が与えられているのです。

(『新版 真理』第2巻 谷口雅春先生著)



☆平成25年8月☆ 


神との一体感を深めるには

神との一体の自覚を深めるのは瞑想のほかに、感謝の念を起す方法があるのである。
一切の善き出来事や日常の食物、衣服、住宅、什器、調度、日光、空気、水、その他、見るもの聴くもの悉く神のたまものであるということを、出来るだけ憶い起こして、神に対して「ありがとうございます」と念じ、神の愛と恵みとにスッカリ常に包まれている自分を、感謝の念毎に強く想い起すのである。このような感謝の念は、結局「間断なき祈り」となって、潜在意識の底までも「神との一体感」を深めることになるのである。どんな時にも、「神と離れている」という感じを持ってはならない。
海綿が海の水の中にあり、海水が海綿の中にあるように、人間の「生命」は神の「生命」の中にあり、神の「生命」は人間の「生命」の中にあるのである。
短時間に有効に神想観をしようと思うならば眼をつぶって「我は神の中にあり、神は我のうちにあり、神と我とは分かち難く一体である」と静かに数分間、暇ある毎に、念ずるが宜しい。このような神想観なら、どんな忙しい婦人でもできるのである。

(谷口 雅春著 新版女性の幸福365章)



☆ 平成25年7月☆ 


常に光明を心の中に点せ

いかなる困難が、見せかけの恐ろしい姿をなしてあらわれて来ようとも、心を実相の完全な姿の方に振り向け、実相の自分がすでに神に護られて完全であり、敵と見えるところの人たちも、じつは敵でなくして、自分の魂を磨く機会を与えて下さる観世音菩薩の慈悲の反射板としてあらわれていて下さるのだと感じて、それを礼し敬し感謝するようにしているならば道はひらけて、過去の艱難は、よりよき展望に達するための山頂の胸突八丁だったとわかるのである。

(谷口雅春先生著「新版 希望を叶える365章p145」)



☆ 平成25年6月 ☆ 


自己を決して軽んずるな。自分の能力を生まれつき少ないと信ずるな。

諸君はすべて神の子であるから、誰でも天才という高貴な金鉱がその底に埋めてあるのだ。
『今』の時間を利用しなければすみやかにすぎ去る。 
しかしこれを生かして利用するとき無限の価値を生み出すのである。

(谷口雅春先生著 「生命の實相」7巻16頁)



☆ 平成25年5月☆ 


深切(しんせつ)は出して減るものでない。

倍加(ばいか)されて返ってくるものだ=他(ひと)のために役に立ち、他からよろこばれ、他のよろこびを自分の心に反射して輝くところの喜びを味わわない限りは、本当の幸福にはなれないのだ。
自己を与えることによってのみ自己は拡大する。
与えることによってのみ自分のもっている宝の価値は十倍二十倍になって還(かえ)ってくるのだ。

(谷口雅春著『生命の実相』頭注版第7巻より)



☆ 平成25年4月☆ 


神に祈るときは喜びの感情を以って祈るべきである。神に対して泣きついてはならない。

若し、久し振りで逢った実子が其の親に対して、自己の不幸を嘆き訴えたならば、その親は実際好い気持がするであろうか。 またかかる実子は親孝行だと云えるだろうか。
親に会ったとき、唯会うだけで嬉しい感情に満たされるのが親孝行の子供ではないであろうか。 神に対して泣き言を訴えるな。私は幸福です。健康です。豊かに暮らしていますと言え。
これが本当の親孝行の「神の子」の祈りである。

(谷口雅春著 新版 光明法語【道の巻】 109頁より)



☆ 平成25年3月☆ 


「認めて現わそう」

この世には素晴らしいことが一杯ある。だが面白くないこともあるし、嫌なこともある。
そのどちらでも見られるが、良いことや有難いこと見ていた方がずっと幸福になる。
健康にもなり、仕事も繁栄するのである。それはこの世には、「心で認めるものが現れて来る」という原則があるからだ。

【中略】

それ故あなたはこれから「認める」練習をしよう。 悪を認めると、ますます悪が出てくるから、善いことや美しいことや、素晴らしいことを認めるのである。
今現に現れている素晴らしさから先ず認める練習をはじめよう。

(谷口清超著『自己完成のために』108頁より)



☆ 平成25年2月☆


「善きこと語れば善きこときたる」

人に愛されるためには、人を愛しなければならない。
自己中心的になってはならない。人と対話するときには、自分の自慢話は避けて、自分をへりくだり、相手の長所について、美点について、より多く語るようにしなければならない。
人との対話中に、誰かの悪評が出て来たときには、決して其の悪評に同調して、一緒に悪口を言ってはならない。
話を転ずるか、その人についての美点を見出だし、「だけども、あの人は、こんな良いところがありますよ」と 褒めるようにするがよい。そのような愛念は必ずその人に通じて、その人を感激させ、その人を立派な人にする力がある。

あなたの心の眼を、ただ「善」のみ「明るい出来事」のみに振り向けなさい。

病気や損失や脅喝などをあなたの視野から外しなさい。

人の欠点を見るかわりに、美点を見なさい。悪口をささやくよりも、賞める言葉を話しなさい。

(谷口雅春著『新版女性の幸福365章』106頁より)



☆ 平成25年1月☆


「どんな小さな恵みにも感謝せよ」

どんな小さな恵み、小さな贈与、又は小さな幸福にせよ、それに対して純粋な心で感謝せよ。

大きな恵福であるから感謝し、日常の小さな恵福であるから感謝しないというのでは、 その人の心は現象的分量にとらわれ、取引根性、打算根性に陥ってしまっているのである。
分量を見ないで、その恵みの奥にある神の愛を見なければならないのである。
そして感謝の念を起すとき、自分の心が浄まるのである。
自分の心が浄まるとき、自分の心の波長が、実相世界に於て既に与えられている無限の供給に波長が合い、 それが現象化してあらわれて来るようになるのである。

(谷口雅春著 「新版栄える生活365章」 35頁より)

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平成24年

☆ 平成24年12月☆


願いを成就する祈り

神を信ずること、神の善にして、無限の智慧、愛、生命、供給、歓喜、調和を信ずること。

その神が自己の内に宿っていることを信ずること。自己の"内なる神"と"普遍なる神"との一体を信ずること。

"普遍の神"と"内在の神"とが一体であるがゆえに、自己の欲することを神に対して呼びかければ、 "普遍の神"はその欲する事物を成就するために必要なあらゆる要素を集めて引寄せて下さることを信ずること。

以上のことを信じて祈る時、自己の正しき願いは何事でも成就しないということはないのである。

正しき願いとは、その願いが「愛」に背かない願いであることである。即ちその願いの成就によっ て、他の人の願いが妨げられたり、他の人が損をしたり迷惑したりすることのない願いの事である。

(谷口雅春著『新版 希望を叶える 365 章』 20頁より)



☆ 平成24年11月☆


ひとりひとりの心は宇宙に遍満している心につながっている。 ひとりの心に起こった希望の波動は全宇宙の心に感じられ、宇宙のどこかに希望を 満たそうとする働きが起こり、その働きが波及してきて、ついにわれわれの起こし たその希望を満たしてくれる。

(谷口雅春著『生命の実相』第8巻 115頁より)



☆ 平成24年10月☆


"私には出来ない"と云う(いう)習慣は、神と共なれば、"出来る"と云う自信に置きかえられるのです。

人は自分自身が"神の子"であり、悦びの生活を送り得る無尽蔵(むじんぞう)の能力を内に蔵している。
その実相を自覚して、自己限定の自縄自縛(じじょうじばく)をとり除けばいくらでも幸福の生涯に転向し得るのであります。

(谷口雅春著『新・人間性の解剖』より)



☆ 平成24年9月☆


あなたは、毎日、笑顔をふりまき、感謝や喜びの言葉をのべているだろうか。 

明るい言葉をドンドン出しなさい。あなたの中の最も美しいものは、「笑顔」であることを忘れてはいけない。それをあらわし出すとき、あなたは幸せへの道を歩み出す。よい行いは、まず「笑顔」からはじまるのだ。

(谷口清超著『すばらしい未来を築こう』より)



☆ 平成24年8月☆


吾(わ)れは霊(れい)である。吾(わ)れは生命(せいめい)である。 

吾(わ)れは神(かみ)のうちに住(す)む。神(かみ)のほかに何者(なにもの)も存在(そんざい)するものはない。如何(いか)なる禍(わざわい)も霊(れい)なるものの上(うえ)に降(ふ)りかかって来(こ)ないのである。吾(わ)れは常(つね)に心(こころ)のうちより神(がみ)を放(はな)ちはしないのである。
神(かみ)に、その心(こころ)を注(そそ)げる者(もの)を、神(かみ)は必(かなら)ずまったき平和(へいわ)にまもり給(たま)うのである。吾(わ)れは此(こ)のことを確信(かくしん)するが故(ゆえ)に吾(わ)が心(こころ)は平和(へいわ)である。

常(つね)に吾(わ)れを護(まも)り給(たま)う御親(みおや)の神(かみ)に感謝(かんしゃ)いたします。

(『日々読誦三十章経』101頁より)



☆ 平成24年7月☆


神は大道であって私たちを縛るところの窮屈なる道ではないのである。

人に応じ、時に応じ、場所に応じて、最も適切なるところに通ずる“道”である。 
(中略)では、大道に載るには如何にすべきであろうか。そのためには“人間智”を棄てなければならないのである。
“人間智”が無くなったところに、神の智慧があらわれるのである。自我を放棄し、自我を超えたとき、あたかも積乱雲の上にまで飛行機が飛翔すれば、常住の蒼空の輝きが見えるように神の智慧が輝きはじめるのである。

(『大道を歩むために』36頁-37頁より)



☆ 平成24年6月☆


「わが仕事はわれとわが家族と全人類の福祉のための祈りである」。

常に仕事をなさんとする時には目をつぶりてかく祈りてから始めよ。
仕事のあいまに、「仕事が祈りである、祈りが仕事である」と念ぜよ。
かくすれば仕事の質が上がり、量が殖え、新しき智慧が発現し、仕事に新生面がひらかれるのである。思わぬ間違いが発見され故障に到らずにすむのである。
「仕事よ有りがとう。この仕事は神のみ栄えである」と念ぜよ。かくすれば神のみ栄えの顕現として立派な仕事が成就するのである。 

(『新版 光明法語』【道の巻】139頁より)



☆ 平成24年5月☆ 


何よりも必要なのは、「神」をわがものとすることであります。

神は一切であり給い、一切のものを有ち給い、一切のものを創造りたまい、
一切のものを与え給う。神は無限智であり給い、無限愛であり給い、無限生命であり給い、無限供給であり給い、無限の平和であり給い、無限の調和であり給うのです。

(幸福生活論 13頁 第一章より)



☆ 平成24年4月☆


私たちは苦難を避けてはならないのである。

自己の願望を高く掲げながら、しかも神がわれらに課し給う多くの苦杯と見える事が、却って実は神の祝福の盃(さかずき)であることを知って進まねばならないのである。
そこに仮(か)我(が)の願望は消滅し、わが真我の願望のみが成就して地上天国建設の実を結ぶのである。

(続真理の吟唱 226頁より)



☆ 平成24年3月☆


人間の生命の実相というものは、唯一つの神が宇宙の根元であり、全ての生命の根元でありますから、われわれの実相の生命というものは、全ての生命と一体である というわけなんです。
自他一体であり、彼我一体である。
だから人の苦しみを見たら、自然と人を救いたくなる。その苦しみを除いて楽を与えてやりたくなる。これが当り前なんです。

( 谷口雅春先生著「日常生活の中の真理(仏典篇)」15頁より)



☆ 平成24年2月☆


太陽はただ照っている。ただ照ることによって万物は美しく輝く。

太陽は何の報酬(ほうしゅう)をも求めない。賞讃(しょうさん)をも求めない。

利益(りえき)をもとめない。栄誉(えいよ)を求めない。ただ照っているだけである。

万物はそれによって温(あたた)められ、生気(せいき)を得る。

ああ「ただ与えること」の尊きかな。われ太陽の如くならんかな。
(「新版 女性の幸福365章」41頁より)



☆ 平成24年1月☆


自分は神の子である。

自分の心には愛が充ち満ちている。自分は彼を憎まない。

自分は彼を愛している。愛は愛を招ぶ。だから、彼もまた自分を愛せざるをえなくなるのである。

自分は彼に宿る神性をこうして毎日拝むのである。

(生命の實相7巻 32頁より)

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平成23年

☆ 平成23年12月 ☆


われわれは二つの主に仕えることはできない。

『生命』を信じて、物質を奴隷にするか、『物質』を信じて『生命』をそれの奴隷とするかのほかはない。
薬物や衛星の奴隷になっているものは、生命の力をますます萎縮させてしまうのであります。知恵と生命とは必然的に一体でありますから、知恵があるということはそこに生命があるということでありまして、知恵が生きれば生命が生きてくる、知恵がなければ生命は死んでしまう。ここにいう知恵というのは真理を悟る英知の光。

( 生命の實相1巻 64頁 生命の實相3巻 187頁より)



平成23年11月 ☆


わたしの行くところに道がひらかれる。私は道である。

わたしの行くところに花びらが撒かれる、私は花びらである。
わたしの行くところに太陽が照り輝く、私は太陽である。わたしの行くところに必ず宝庫がひらかれる。私は宝庫である。この世の中が思うように行かないと云う人は、私と同じ心持になるが好い。険しきは平かにせられ、難きは易しきに打ちかえられる。

(谷口雅春先生著 『生命の実相』第37巻「三月二十四日」より)



平成23年10月 ☆


人生に一回だけ生まれて来て、あとは灰になって、それで終りというのでは、生まれて来た

意味がまるでなくなってしまうだろう。灰になるだけなら、最初から灰である方がよっぽどよい。

ところが肉体は何回も死ぬが、そのかわり肉体が死んでも魂(いのち)は生き通していて、

色々とそのいのちのすばらしい力、「無限力」を表現しようとするのである。そして愛と智慧とをますます完全にあらわし出すことに「生き甲斐」と「よろこび」を感ずるものなのである。

(谷口清超著『輝く未来が待っている』より)



平成23年9月 ☆


「真理の言葉」こそが“最高の情報”である。 現象界の情報には各種の迷妄(めいもう)が入り込み、多くの点でまだ不完全である。

正しい信仰者は、充分情勢を把握し、大局を掴(つか)み、正確な判断を持ながら、さらにそれを超えた神の国の“完全情報”をハッキリと把握し、現象世界の映像に惑わせられないところの“堅信(けんしん)”を持つことが大切である。

(谷口清超著『新生と解脱のために』より)



平成23年8月 ☆


感謝は不毛の土地に、美しき花をさかせ、砂漠に豊かなる収穫をもち来すような力をもっているのである あなたは自分の運命の支配者であり、人生の航路を進み行く船の船長だということができるのである。

しかし、船長に羅針盤がなく、またどの方向へ進んで行けばよいかの海図がなかったならばその船は難破するか暗礁に乗りあげるかするより致し方がないのである。

その羅針盤にあたるものが、"心の法則"であり、その"海図"にあたるものが『生命の實相』の聖典である。

『生命の實相』をよく読んで、人生の海図とし、幸福の青い鳥に速やかに到達せられるがよい。

(谷口雅春御著書『新版 栄える生活365章』)



平成23年7月 ☆


神は完全であり給うから、悪も罪も造り給わない。

神の創造された世界(実相)は、いかなる点からみても“完全円満”である。

それ故、一部の人々が考えるように、神は人々の中の一部の者を天国に行くべく定め給い、その他の者を地獄に行くべく定め給うということはなく、全てのものを“神の子”として、既に「神の国」に安住せしめ給うているのである。

(谷口清超先生著 『智慧と愛のメッセージ』)



平成23年 6月 ☆


人間にはすべての財宝が与えられ済みである。

しかしながらそれを活用するか活用しないかは、すべて各人の自由意志に委ねられている。

吾々はそれを自分の幸福のみならず多くの人々の幸せのために活用しようと思うのである。

「人間・無限力」の真理はただ単に自分の目先の小さな幸福のためにのみあるのではない。

吾々はすべての人々のためにこの偉大なる真理を宣布して、素晴らしい地上天国を実現しなければならない。

(谷口清超先生著 『いのちを引き出す練成会』)



平成23年 5月 ☆


これこれができたら、あれをしようという人がありますが、そんな根性では何事もできるものではないのであります。

「できたら、しよう」というのではなく、意を決してすればできるのであります。

「余裕があったら、しよう」というのではなく、断じて行えば、必ず余裕ができてくるのであります。

(『生命の實相』頭注版第3巻)



平成23年4月 ☆


吾々は祈(いの)りを深(ふか)めて、自己の内部(ないぶ)にある無限(むげん)の力を心の中に確立(かくりつ)し、それを実行(じっこう)に移(うつ)さなければならないのであります。

吾々が斯(か)くの如(ごと)く内部にある無限の力を喚(よ)び醒(さ)ましてそれを実際(じっさい)行動(こうどう)に移すならば、困難(こんなん)なる人生体験(たいけん)を経(へ)る毎(ごと)に、「内在(ないざい)無限(むげん)の力」から必要(ひつよう)な力を喚(かん)び出して来ることの出来る分量(ぶんりょう)が増加(ぞうか)し、それによって過去(かこ)の苦(くる)しき経験(けいけん)は、未来(みらい)の盤根錯節(ばんこんさくせつ)を切りひらくところの偉大(いだい)なる力となり、将来(しょうらい)にその人に起こって来ようとしている人生の出来事(できごと)の性質(せいしつ)を全(まった)く変化(へんか)せしめる原動力(げんどうりょく)となるのであります。

(新版『真理』第4巻 青年篇 p317)

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